さて、今、世の中では、様々な事が伝わっていますが、
しかし、全てが⦅儀式⦆となっているわけです。
でも、始まりは⦅儀式⦆ではなかった。
≪『神様』の深い思いがあって、始まった事があるわけです≫
しかし、今の方々は、全部⦅儀式⦆ですね。
「お正月も儀式」
「おせちを、頂くのも儀式」
「神様に、お神饌(おしんせん)を差し上げるのも儀式」
〝おぢば〟において、わし(天命庵のおやさま)に、ご奉仕して
下さるのも、まぁ、誠もありますけれども⦅儀式⦆になってしまっている
ところもあります。
何故、今年は「光神さん」が『天』にお帰りになられて、
大徳寺様が、一生懸命悲しんで「光神さん」を懐かしみ「光神さん」を
求めて、求めて、誠に⦅御霊舎⦆というのが生まれるわけです。
≪さて『古事記』の中に、これは書かれている事ですね≫
伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、伊邪那美命(イザナミノミコト)が、
『天』に帰った後、伊邪那岐命が〝黄泉の国〟に行って〝御霊〟とこの世とを、
まあ、行き来できなく〝石〟を置いたという事が、書かれていますが、
ある意味では〝御霊〟の行く処を開かれたわけです。
≪〝御霊〟の行く処を開いて下すった≫
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